祈るとは

私は宗教について関心があまりなく、どうやって祈ればいいのか、わかりません。

しかし、ジャーナリストの後藤さん、そして湯川さんが亡くなったことに祈りをささげたいと思います。

 

思い起こされるのは、遠藤周作氏の著作「沈黙」です。

こちらの小説は、江戸時代にキリスト教を広めるため、禁教令下にも変わらず、

日本へ布教をしに訪れた宣教師ロドリゴとその仲間、日本の隠れキリシタンたち、

そしてその中にいた、「転びもの」となるキチジローという奇妙な男による話です。

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

 

この話の中でロドリゴと仲間の宣教師、そして隠れキリシタンは捉えられ、ロドリゴは仲間の宣教師、キリシタンたちの処刑、殉教の瞬間を目の当たりにします。

その中で、ロドリゴはそのようなときにも神が沈黙していることについて、

問いかけるのです。「神は自分に捧げられた余りにむごい犠牲を前にして、なお黙っていられる。」

 

この問いかけは神に対してのみでなく、この酷い死を目の当たりにした、私にも向けられているのではないかと思うのです。

 

神との対話というものがあるのかどうか、わかりませんが、

対話するという私自身へもなぜこの酷い死を前に黙っているのか、

と問いかけられているように思うのです。

せめて、そこで、祈りの言葉をお二人にささげなければならないのではないか、

と思うのです。

 

神は沈黙するのであれば、せめて人間である私は祈りの言葉をささげるべきであると思うのです。

 

御冥福をお祈りいたします。