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右翼、野村氏、割れた想い

野村秋介氏と言えば一代の右翼活動家だ。

 

その野村秋介の拳銃自殺後の

長谷川三千代氏の追悼文が問題になっているようだ。

下記はその全文である。

 

https://twitter.com/shinjitsu1966/status/430817642425765888/photo/1

 

ここに書かれていることは要旨は

1.人間に命を供することはできない

2.だからこそ朝日新聞などには野村氏は命を供してはいない

3.神は、人間の命を供物受け取ることができる

4.野村氏は命の供物を以てして今上天皇をふたたび神たらしめたのである

5.このことこそ野村氏最大の功績である

 

という具合であるように思う。

このことこそ、私は右翼の引き裂かれを感じずにはいられない。

つまり、現状に於いて、天皇陛下は神ではない。しかし、右翼はそれを神と奉るのである。その引き裂かれの結果が自刃であり、命の供物であるというのである。

 

現状、天皇陛下は国民統合の象徴である。そして、この体制を作ったのは紛れもなく御名御璽であるという現憲法の成立過程が存在する。

この天皇陛下は自ら神ではないと名乗られている現状において、天皇陛下を神と崇めたてまつることは私にはどのような結末を迎えるのかわからない。

天皇陛下を神と崇めたてまつる、するとその神の大御心は計りしれぬが、どうも御名御璽にて、神ではないと宣言しているらしい、このことを奉らねばならぬ。

 

この二つの考えは引き裂かれているのである。

 

その引き裂かれにより、今の今まで右翼はどうも止揚できずに生きているように思う。

その問いを突き詰めていけばまっているのは死なのだろう。

 

そこで問題になっている、長谷川氏の文章についてだ。

残念ながら、僕は野村氏が上記のような考えの引き裂かれによって死んだかは分からない。しかし、長谷川氏は天皇陛下を神として崇めたてまつるという面にばかり目が行き、

野村氏の懊悩であるとか、天皇陛下を神として奉るための供物となることがどう引き裂かれた運命になるかとかに視点が行かないように思う。

また、野村氏の真髄たる、新井氏の黒シール事件での石原慎太郎批判などのその見識にも触れられていないように思う。

 

長谷川氏は野村氏を供物としたいだけではないか。

 

野村氏は神への供物と「人間である」ということのあいだで、

人間として死んだのではないか。

その引き裂かれこそ右翼ではないのか。