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MSN産経westへの抗議文

お疲れ様です。

思う所がございましたので、下記の記事について、MSNへお送りいたしました。

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【国際ビジネスマンの日本千思万考】近くて遠い「反日チンパンジー・中韓」より、遠くて近い「親日・インド」を大事にすべし…パール判事の「知性」を思い出そう(1/5ページ) - MSN産経west

という記事を読みましたが、これは人種差別ではないでしょうか。現在、あるスポーツ選手が猿にたとえられて差別された事に対して、バナナを食べて差別に反対することが行われています。その中で、このような差別記事を掲載していることは貴社のブランドイメージを毀損するかと存じます。

産経新聞社へ貴社として何らかのペナルティを取られるべきであると存じます。宜しくお願い致します。

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短い文章ですが、やはりこういったメディアでの言葉には一つ一つ反論をすべきであるように存じます。

少し疲れたので休みます。

 

東日本大震災と言葉

東日本大震災により被災された皆様ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。皆様の安全と被災地の一日も早い復興を心より お祈り申し上げます。

 

東日本大震災から3年ですね。

 

そして明日は3年と1日になるんですね。そうして積み上がってきた大きな差は、

私が考えているよりも大きな差になってしまったんでしょう。

 

隔てられた差。断絶。

もう戻らないのだから、対立して、対話するしかない。

 

中立公正というものが世の中にはないということを意識せざるをえません。

東京に想う。

今日はこの本を読みました。

 

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

 

 

脱原発の集会に行き、ただ、何となく手持無沙汰だったので(知り合いも多くないですから)

この本を読んでいました。

 

東京の町、しかも僕がたまに訪れた街、呑み明かした街での関東大震災での虐殺について、詳細に、克明に、学術的にまとめられていました。

この本を皆さんに読んでもらいたいからこそ、

ここではあまり内容を明かさないようにしようと思います。

ただ、本当に、「生活の中で行われた虐殺」というものがいくつも紹介されていて恐ろしくなりました。そのなかで、「隣人を守ろうと立ち上がる数少ない人」というのに、僕はどうにかして彼らのように勇気を持てないものかと思いました。

ある女性はひとりの朝鮮人が殺されそうになった時に民衆の前に立ちふさがります。

「こういうことはいけません」と。

ある人は「俺を殺してからにしろ、指一本触れさせないぞ」と啖呵を切る。

 

そういった勇気にばかり目が行く一方で、無造作もなく殺される人々の描写。

 

今日は、東京大空襲の日です。東京の中をその時に虐殺して回った人間も、

今度は虐殺されたのでしょうか。この東京という街の呑みこんでいった人々の血と炎というものが時々恐ろしくなります。

 

あと二日で3月11日。

 

人の死というものはいつになっても慣れないものです。

あの身体の冷たさというものに僕は耐えられない。

 

春を待つ。

手短に。

冷笑がなにを生み出すのだろうか。

 

何をやっても無駄、ならば何故首をくくらないで生きてしまうんだろうか。

 

全ての世の中の出来事はネタなのだろうか。

 

空虚な雪も温かな雨も揺れない地震も、ない。

 

生きろ。

レインボーアイコンという批判について

ツイッターのことを書きます。狭い話でごめんなさい。

 

レインボーアイコンという批判について。

 

恐らく@bcxxさんを中心とした人々が、今回の大雪の被害について、

安倍首相をはじめとした関係閣僚の初動が遅かったのではないか、

また、その初動にあたる14日に支援者と天ぷらを食べている場合じゃなかったのか

という言葉を受けて #天ぷら辞任 という言葉が表れました。

 

僕はそれについては同意できない、これは災害対策基本法などに不備があるんじゃないかなあとか、この国の消防や警察の役割や行政の問題とかすっ飛ばしてないかなあ

(今の人類全体では相当防災意識は高い方の国ではあるけれど)とかいろいろ思っていたんですが、それとは別にちょっと頭にきたことがあったんです。

 

確かに、このハッシュタグを含めた安倍総理への批判に、反批判は当然あるわけで、

叩くほどのことではないとか、今までとそんなに変わらない対応だったとか、

中には安倍さんのやることはすべて正しいと盲信してしまう人の反批判ではない誹謗まで含めて様々あった訳ですが、こういい出した人がいるんですね。

 

「レインボーアイコンの奴らがおおい」「レインボーアイコンのやつらがくそみたいなことを言っている」

しまいには、「レインボーアイコンでくそみたいなことを言い出すのはLGBTへの嫌がらせか?」という言葉まで飛び出してました。

 

僕はこういうことを言う奴が一番嫌いです。

先ず、#天ぷら辞任 発言がクソかどうかの精査はおいて置きます。

 

僕はレインボーアイコンが―と言った上で、したり顔で「LGBTに迷惑かけている」「今までやってきた人たちがかわいそう」などと批判する奴が一番卑怯だと思う。

つまりここで人質に取られているものは、LGBT(および支援者)なんです。

「お前がクソなことを言うとLGBTに迷惑がかかる(だから黙れ)」なわけです。

 

ちょっと待てよ。LGBTってそんなレインボーアイコンやっている人がクソなこというだけでイメージダウンしてさらには迷惑かかるってこと?

LGBTに迷惑がかかるってようは、今の権利擁護や差別撤廃や教育、さらにはHIV支援なんかの動きに迷惑がかかるってこと?

そんなやわな動きしかLGBTはできてないし、イメージが悪いってことでそういった支援がとまってしまうようなことなの?

 

そんなにLGBTの獲得してきた、そしてこれから獲得していくものって「イメージ」なわけ?LGBTってそもそも「イメージ」が大切なの?「生活とか、生き方」の問題なわけでしょ?

 

なんかまとまんないし、俺は部外者だし、確かに支援なんて微塵もできてないよ。むしろLGBTの人には差別撤廃東京大行進の時にはめちゃくちゃ助けてもらった。フロートだしてくれたし、演台登って協力してくれてたし、勇気ももらった。

 

でもさだからこそ思うんだけどさ、「イメージが下がる」とか「だから迷惑かかる」とかその次元でさ、レインボーアイコンがどうの言ったり、その発言LGBTへの嫌がらせなの? とか本当にむしろLGBT馬鹿にしてんのか?サブカルの一種と勘違いしてんのか?とか思う。

 

特に、全裸中年男性でハッテンがどうのうこうのとかいってたやつが、

いまさらLGBTのイメージが~とか言ってんじゃねえよ。

 

ネタでもサブカルでもない、生活を人質にとって他人を黙らせようとするな。

右翼、野村氏、割れた想い

野村秋介氏と言えば一代の右翼活動家だ。

 

その野村秋介の拳銃自殺後の

長谷川三千代氏の追悼文が問題になっているようだ。

下記はその全文である。

 

https://twitter.com/shinjitsu1966/status/430817642425765888/photo/1

 

ここに書かれていることは要旨は

1.人間に命を供することはできない

2.だからこそ朝日新聞などには野村氏は命を供してはいない

3.神は、人間の命を供物受け取ることができる

4.野村氏は命の供物を以てして今上天皇をふたたび神たらしめたのである

5.このことこそ野村氏最大の功績である

 

という具合であるように思う。

このことこそ、私は右翼の引き裂かれを感じずにはいられない。

つまり、現状に於いて、天皇陛下は神ではない。しかし、右翼はそれを神と奉るのである。その引き裂かれの結果が自刃であり、命の供物であるというのである。

 

現状、天皇陛下は国民統合の象徴である。そして、この体制を作ったのは紛れもなく御名御璽であるという現憲法の成立過程が存在する。

この天皇陛下は自ら神ではないと名乗られている現状において、天皇陛下を神と崇めたてまつることは私にはどのような結末を迎えるのかわからない。

天皇陛下を神と崇めたてまつる、するとその神の大御心は計りしれぬが、どうも御名御璽にて、神ではないと宣言しているらしい、このことを奉らねばならぬ。

 

この二つの考えは引き裂かれているのである。

 

その引き裂かれにより、今の今まで右翼はどうも止揚できずに生きているように思う。

その問いを突き詰めていけばまっているのは死なのだろう。

 

そこで問題になっている、長谷川氏の文章についてだ。

残念ながら、僕は野村氏が上記のような考えの引き裂かれによって死んだかは分からない。しかし、長谷川氏は天皇陛下を神として崇めたてまつるという面にばかり目が行き、

野村氏の懊悩であるとか、天皇陛下を神として奉るための供物となることがどう引き裂かれた運命になるかとかに視点が行かないように思う。

また、野村氏の真髄たる、新井氏の黒シール事件での石原慎太郎批判などのその見識にも触れられていないように思う。

 

長谷川氏は野村氏を供物としたいだけではないか。

 

野村氏は神への供物と「人間である」ということのあいだで、

人間として死んだのではないか。

その引き裂かれこそ右翼ではないのか。

戦わない。でも土俵を割らない。

僕がずっと辛い顔をしているときに思い出す言葉です。

 

うちの父は死ぬ前年ぐらいまでずっと働いていて、病気になって退職して、

そして亡くなってしまったのだけれど、よく酔っ払うと、

「戦わない、でも土俵を割らない」と言っていました。

戦って、勝っていくことがどうしても求められる世の中です。

私は大人になっても子どもっぽく、意気地もなく。

良く負けています。

これではいけないのだけれど。

 

その時によく父が「戦わない、でも土俵を割らない」と言っていたことを思い出すんです。

勝てないときは戦わない。でも、負けないように土俵を割っちゃいけない。

そうやって踏みとどまることをこの言葉思い出します。

 

踏みとどまれば、負けない。