FUCK共謀罪・FUCK加計学園・FUCK忖度

今日は仕事で遠くまで行っていたから国会前にはいけなかった。

風邪もひいているってのもあるけど、マジで間に合わない。

仕事でどうしても忖度して長時間労働している自分自身にマジファックとは思ったけど仕方ない。久しぶりにブログに日頃の鬱憤でも書こうと思う。

 

共謀罪マジファック。

テロ対策の名目で人の会話を覗き見しまくって、政権に都合の悪いもんつぶそうとするんじゃねえよ。

つうかあのジョブズとウォズニアックみたいに成れるベンチャーの若者は共謀罪で捕まってアップルも生まれねえみてえな状況になるわ。イノベーションだのスパーグローバル人材だのわけのわからない尺度で若者計っているくせに嘗めてんじゃねえ。

挙句、テロ組織以外の人権・環境団体も監視する可能性もだして、一般人は当局に捜査されていないのが一般人だってベトナム戦争映画か? 海兵隊気取ってンな極右のくせに。

気に入らない人間は逮捕ってやってく先には虐殺・拷問・密告のクソ社会。

戦前日本が証明しているじゃねえか。

おめえら極右爺さんはあと10年もすりゃ地獄行きだからいいかもしれねえけど、こっちはあと40年は日本で暮らすつもりだったつーの。マジでふぁっく。

 

そもそもこの国の教育予算なんだよ。職業訓練先も全然ねーから企業も就職者も職業訓練で苦労しているし、しかも新卒一発採用のイカレタ国家なんだから受け入れ先国が考えとけよ。ロスジェネまじで可哀想だし、それ教訓にしてねーのかよ。

そんでスパーグローバル人材に頼りまくりで経済運営を目指すなんて無理だろ。

まじネグレクト国家。せめて母子家庭への生活保護加算なんとか増やせよ。DV夫国家。

 

んで、政府の友達には無駄に増えてまた若者が路頭に迷うだろう獣医大学開設のために100億近くプレゼントか。

政府の友達が女性に準強姦したら握りつぶすのか。どんだけ若者嘗めてんだよ。

爺どもあと10年したら姥捨て山に爺捨てしてやろうか。

お前ら資産あるからって調子乗ってんじゃねえよ。どんなに金持ってようが生き残るのは若者で先に死ぬのは歳の順だ。墓の前でブロックパーティ絶対やってやるからな。

もっともFUCKなのは忖度してこれを進めてきた人々だよ。言い訳は無しな。

抵抗するしかねえよ。文科省の若手とOB見習えよ。人間としてのプライド見せろよ。

FUCK共謀罪・FUCK加計学園・FUCK忖度

 

本という心の薬―「ストーカー」は何を考えているか (新潮新書)を読んで―

ここ数か月。

ずっと思い悩んでいることがあって、それで心がぼろぼろになりかかっていた。

それは誰しもがいつしか経験する失恋というやつで、それでぼろぼろになっている自分がいました。

私はもっと過去にも失恋でぼろぼろになっていて、さらに相手に迷惑をかけていて、本当に申し訳のないことをしました。

そして今回も別れた後、迷惑を周囲含めかけてしまっている状態でした。

 

これではよくないと、周囲に勧められた引っ越しのため、今日は昼から引っ越そうと思う場所を散策し、夕方に不動産屋に入って、物件をいくつか見せていただきました。

予算内で少し気に入ったところもありましたが、焦ってはよくないと思い、もう少し探していただいて、来月またお伺いするお話しになりました。

ちょっと、自信がついて、久しぶりに大きな本屋さんに行き、自分へのご褒美として、本でも買おうかと探していると、目に留まった本がありました。

「ストーカー」は何を考えているか

 

「ストーカー」は何を考えているか (新潮新書)

「ストーカー」は何を考えているか (新潮新書)

 

 

その場で、これだと叫びそうになりました。自分は今何を考えてしまっているか、自分がどんなことをしでかしそうになっているか、知らなくちゃいけないと思い、すぐに買いました。

そこに書かれていることは、この何年間も何年間も思い悩んでいることへのヒントでした。

ストーカーの心理状態として以下に自分なりに消化したものを列挙します(間違った解釈があるかもしれません。実際は読んでみてください)。

被害者感情が強い

相手が不当なことをしているという猜疑心が強い。交際中から別れてまで、相手から納得のいく回答をもとめ、また、大概は謝罪を求めている。

・自身の成長ではなく、「素晴らしいひと」と付き合うことで、世間並みになったという感情を持つ

自分に持っていないものをもつ恋人を手に入れることで、あたかもその満たされない成功が、ついに満たされたかのように錯覚してしまう

・相手が理不尽なことをしていると考える

別れるという当然の自由を理解できない

 

これらの認知のゆがみ、問題に対して、著者は様々な加害者、被害者とのカウンセリングを通じた事例を交えつつ、どう解決していったか、または稀な例として悲劇が起きてしまったかを述べていきます。

とくに加害者について必要なのは、自身がどういう答えを求めているのか理解することと、相手には自由があって、それを侵害してはいけない、別れるということも自由なのであるということを徹底して理解することだということです。

これは普通の人にとっては、当たり前のことだと思いますが、ストーカーの心理に陥っている加害者は、自分は被害者で、別れは不当で、謝罪なり復縁が欲しい一心だからわからなくなってしまうのです。

だからこそ、自分が今どういう感情で、その感情は自分だけの話であり、自分の感情をコントロールするすべを、カウンセリングを通じて見出していくというものでした。

自分は謝ってほしいけれど、実は相手は不当ではない、向こうはもう連絡を取りたくないということを。

だからこそ、謝ってくれるかもしれない、または恐怖を感じていて、もう謝ることも怖くてできない相手がいるということを理解する。

自分がほしいのは謝罪ではなくて、成功する自分だったり、成功しなくても、たとえ交際相手がいなくても生きている自分だと気が付くことで、ストーカー体質を改善していくことが書かれています。

自身の不全感を、相手で埋めるのでなく、コントロールしていくこのことの重要性を本当に理解しました。

本当に相手や周囲には申し訳ないこと、そして自分自身こそが理不尽だったのだと、この本のおかげで理解できました。

本当に、申し訳なく思っています。

そして、たとえ成功していなくとも、自身を成長はさせられるし、そうやって自分を抱えて生きていくことができるんだと。

 

この本を今日読んで、穏やかに、そして、コントロールする方法を少し学べました。

この本には、自身のコントロールには終わりがないことが暗示されています。

でもこうやってこういう本に出合えていけば、コントロールを続けられると思いました。

僕のように同じ悩みを抱えている方にどうしても読んでもらいたいと思い、書きました。ぜひ一度読んでみてください。

あとこれはストーカーでなくとも、ひととの別れ方の教科書だと思いました。

ぜひ人と別れることにお悩みのかたも読んでみてほしいと思いました。

 

 

『リベラリスト』マガジン0の感想。

 

私も幽霊部員(部員でいいのか?)として所属するCRACが、先日の東京レインボープライド(下記参照)に出展したブースで販売した「リベラリスト」の創刊号のインタビュー記事の感想を書こうと思います

tokyorainbowpride.com

 

下記に公開されてますので是非読んでみてください。

 

 以下感想。

1980年代後半、すなわちレーガン政権下でなおかつ前半の不況と、

レーガンの積極財政政策名のもとに行われた政策も一因となって、

大きな株式崩壊があり、不況で且つ新自由主義が跋扈し始めたアメリカで、silence=deathのピンクトライアングル(参照:SILENCE = DEATH)を掲げる一団が出てきたという説明からこのインタビュー誌面はスタート。

 この集団はACT UP(派手にやれ)を合言葉に当時の同性愛者たちに蔓延したエイズ禍と闘い、そして当時の新自由主義の走りであり、福祉政策に対してなんら理解のない時の政権と、儲けのみを追及する製薬業界から薬と福祉を勝ち取るため闘っていく。

 今回のインタビューはその運動の歴史について追ったドキュメンタリー映画「United in Anger A History of ACT UP 」の制作者、サラ・シュールマンとジム・ハバードに

高橋若木さんが質問をぶつけていくという形。

まずは初期のACTUPというものがどういうもので、そして現在のCRACがやっている反ヘイトはどういうものかというものに話が絞られている。

 これら質問、会話の中で、非常に示唆的だと感じたのは、高橋氏がCRACなど反ヘイト運動に見いだせる、新たな運動の形、それは、何か団体として合意形成を会議などを通じて図って統一的な団体の動きをするという従来の「左派」の団体の動きではなく、ボトムアップでそれぞれが同時多発的に自分の政治的表現をしていくということを説明し、だからこそACTUPに勇気づけられるという話をすると、このことは、ACT UPのやり方とリンクをしていることにサラ氏は同意しつつ、さらには合意を無理やり作ろうというのは左派の大きな間違いの一つであると言及している。

 この個人の独立の上でのボトムアップということ、それを30年前に「成功」した運動で行われていたというのは、本当に勇気づけられることであるし、また、これ自体、組織運営であるとか、物事の進め方として、非常にむつかしいのではあるけれどボトムアップの理想形であるように思える。

 その次は運動がどう質が変わっていったかという話になっていく。

 運動の質の変化として、エイズによる製薬会社の儲けと、それによって社会の再生産構造の一部、市場ととなったことで、ゲイの運動も資本主義社会に取り込まれ、いかに「社会に似ていくこと」ができるかによって権利が増えるか否かが決まってしまうようなものになったとサラとジム氏は語る。

 これについては、その市場をどこが握るか、資本主義の中に入っていた時にどこがトップをとるかということが非常に重要であることを示唆していないだろうか。

 CRACがTシャツを売るのも、CLUBCRACを開くのもこの点もあるのか、と思わされる。資本主義に取り込まれACTUPが上手くいかなかったことを教訓に(実際には知らないうちの嗅覚のようなものだろうが)、CRACは逆手に取ろうとしている。

 さらにアキラザハスラーも交え対談は進むが、それは必然と震災以後の運動、日本の状況の話となっていく。どうしてACTUPの映画が日本に受け止められたかの話へ。

 その中で日本にあった政府を信頼する文化と、それが震災によって崩れ去った時に、映画を見た日本の人々は、どう政府に言えばいいかということを映画の中から、「怒りの表現」として見出している、そこに震災以後の怒りの運動を見出していることが語られていく。怒っていいのだということ。

 最後には世界的な人種差別と反ヘイトとのせめぎあいについて語られ、自分たちだけが反ヘイトのため闘っているわけではないからこそ希望を捨てるには早いということが語られ、対談は終わる。

 世界で不当なことに怒る人々がいることに希望があるということ。怒りを表現すること、それによって社会を変えていけることがこの対談から様々な形で読み取れる。

 

 まとまらない感想というか文章になってしまったが、最後に。

 ここにおける怒りの表現をしていくことで社会を変えていくということについて、非常に今、必要であることであると思う。

 今の社会のヘイトの渦巻いている状況、新自由主義の跋扈、そして闘わないことを誇り闘うものを笑う人々。これらに対して、怒ってもいいのだ。怒ることで連帯し社会に本当に必要なものをここに作っていけば、おのずと変わってくるのだと感じられた。

 本当に皆さんに読んでいただいて、ぜひいろいろと今の状況、自分の怒りの持って行き場を見出してほしいと思う。

 

長文乱文、失礼しました。

ヘイトスピーチと雨

今日は雨が降っていた。

銀座に行ってきた。

ヘイトスピーチで有名なザイトク会の桜井誠の主催によって、

デモが行われていた。

反対してきた。「人種差別をやめろ」と怒鳴った。

通行人の方には迷惑だったろう。怒鳴った隣にいた初老の男性から

「なにもそんな…」と言われた。

 

ああ、「なにもそんな」、なにもそんな。

「○○人は出ていけ」と叫ぶ彼らは薄ら笑いで。

こちらの反対する人々の顔は悲痛で。

「○○人は出ていけ」と叫ぶ声は高らかで。

「差別をやめろ」という声はダミ声で。

ああ、なにもそんなことを言わなくていいだろう。

君たちが差別をしなくても、この国は十分に差別的で。

それが嫌で嫌でたまらない。

なにもそんな雨も降らなくてもいいだろう。

差別をやめろ。

人種差別はどこにもいらない。

今日の「科学者ヘイト」などの言葉から考えたこと

・ヘイトでないとことを「ヘイトであると」述べることの問題として考えられること

 

1、ネトウヨの「日本人へのヘイト」という主張について加担してしまう可能性がある。

 

ヘイトの定義を人種差別撤廃条約や各国法に基づかず主張する場合、

「社会的構造による非対称性があるか」という重要な判断基準が揺らぐ可能性がある。

 

2、すでに認められている個人の人権救済の権利である、

名誉毀損として訴える」ということがあたかもできないと勘違いされる。

 

ヘイトスピーチは日本においては現行法での対処が困難と一般的に指摘される。

首相 ヘイトスピーチ解消へ啓発強化 NHKニュース

このニュースにおいても『公明党の国重衆議院議員は、ヘイトスピーチと呼ばれる民族差別的な言動について、「聞くに堪えないばり雑言を吐いて街を練り歩く街宣活動をしても、人種集団全体に向けられたものであれば現行法での対処は著しく困難だ。』と指摘している。

逆に、名誉毀損であると個人に向けられたもので訴えるということはすでに確立した権利である。誹謗中傷のようなものに対して、特に一個人に向けられたものであれば、名誉毀損で訴えることができる。

ヘイトスピーチのような困難性がない、非対称性のないものは、誹謗中傷であるとして、はっきりと指摘し、権利を行使する方がよいのではないだろうか

(またはそのように権利を行使するぞとはっきり宣言し抑止する)。

 

3 ヘイトスピーチによる被害が現状、人権救済されていない(されにくい)

  ことを覆い隠してしまう

 ヘイトでない誹謗中傷をヘイトと呼んでしまうと、そうしたものについて人権救済を名誉毀損により申し立てることが、あたかも、「ヘイトスピーチは現行法で対処可能」という論を後押ししてしまう可能性がある。一方でヘイトスピーチに当たるものを民事訴訟することで人種差別についての救済の判例を積み重ねることもできるのだが。

「京都朝鮮学校事件」での判決でいえば、裁判所の判断は「人種差別に該当する」と判断している。


【大阪高裁】在特会・京都朝鮮学校襲撃事件民事裁判控訴審の判決概要 - Togetterまとめ

しかし、この裁判の過程をかんがみるに、このように裁判について長く時間がかかるうえに、人種差別撤廃条約が適用されるかどうかというところに明確な法がない状態であり、民法との兼ね合いから調和するように適用が行われている。

この点において、名誉毀損による人権救済でヘイトスピーチによる被害が救済される社会、法体系、司法になっているかはいまだ発展途上であると言わざるをえない。

その状態で、名誉毀損において保障されている範囲をヘイトスピーチと呼ぶかについては慎重にならねばならず、この点において軽々しくヘイトの範囲というものを

根拠を示さず広げてはならないように思う。

下手をすれば「現行法ですべて対処が可能(実際には今までとなんら変わらない状況)」となってしまう可能性もある。

 

4ネットの匿名集団による誹謗中傷の問題は「ヘイト」だからではない可能性もある。

マジョリティ間での誹謗中傷について、時たま炎上と呼ばれる現象があって、

正当な批判が大量に押し寄せる(言論の自由の範囲内の批判がある一定の人物によせられる)こともあるが、中には誹謗中傷が大量に寄せられることもある。

最たるものはスマイリーキクチ氏の件だろう。

スマイリーキクチ - Wikipedia

スマイリー氏はずっと自身がかかわったことない全くの冤罪の話について、

ずっとその犯罪を犯したかのようにネットに誹謗中傷を書かれていた。

これらの問題は、まとめサイトや、2ch、TwitterなどのSNSの管理者が、

そのような誹謗中傷について削除するという判断をしかねてきたことなどに

起因する問題があり、また訴訟を起こすにしても、

匿名の人間についての開示請求についてもハードルなどがある。

このような構造の問題については、確かにヘイトと誹謗中傷は近しいものがあるが、

これは置かれた状況の問題であって、そのあとの法的な手続きの際には、

個人への誹謗中傷は確立された法による手続きがあるのに対して、

ヘイトスピーチは先に述べたように法が追い付いていないところがある。

この点だけでは一緒にしてはいけないのではないか。

 

最後に

片瀬久美子氏については、その誹謗中傷の被害については金明秀氏がTwitterで指摘したようにひどい中傷をされているものがあるし、その点は同情をいたしますが、それはやはり名誉毀損で訴えるべきであると考えますし、その点はヘイトという必要はなかったように思います。

誹謗中傷による人権侵害を受けたということについてはおっしゃる通りかもしれないかと思います。

一部私も誤った認識のもと批判を書いていた点があります。その点については謝ります。

しかし、やはり「科学者ヘイト」は現代日本では適切ではないと考えます。

 

以上

 

 

祈るとは

私は宗教について関心があまりなく、どうやって祈ればいいのか、わかりません。

しかし、ジャーナリストの後藤さん、そして湯川さんが亡くなったことに祈りをささげたいと思います。

 

思い起こされるのは、遠藤周作氏の著作「沈黙」です。

こちらの小説は、江戸時代にキリスト教を広めるため、禁教令下にも変わらず、

日本へ布教をしに訪れた宣教師ロドリゴとその仲間、日本の隠れキリシタンたち、

そしてその中にいた、「転びもの」となるキチジローという奇妙な男による話です。

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

 

この話の中でロドリゴと仲間の宣教師、そして隠れキリシタンは捉えられ、ロドリゴは仲間の宣教師、キリシタンたちの処刑、殉教の瞬間を目の当たりにします。

その中で、ロドリゴはそのようなときにも神が沈黙していることについて、

問いかけるのです。「神は自分に捧げられた余りにむごい犠牲を前にして、なお黙っていられる。」

 

この問いかけは神に対してのみでなく、この酷い死を目の当たりにした、私にも向けられているのではないかと思うのです。

 

神との対話というものがあるのかどうか、わかりませんが、

対話するという私自身へもなぜこの酷い死を前に黙っているのか、

と問いかけられているように思うのです。

せめて、そこで、祈りの言葉をお二人にささげなければならないのではないか、

と思うのです。

 

神は沈黙するのであれば、せめて人間である私は祈りの言葉をささげるべきであると思うのです。

 

御冥福をお祈りいたします。

個人的な語りとして

みなさまお疲れ様です。

 

11月4日に東京大行進の運営の末席としてかかわらせていただきました。

今回わたくしにご協力をいただいた方々、ご迷惑をおかけした方々、

本来であればおひとりおひとりのお名前を挙げるべきではございますが、

この場を借りまして、御礼とお詫びのご挨拶とさせていただきます。

 

思えばこの一か月、これと仕事以外で何をしていたかといわれると

あまり思い出せません。鴉だから鳥頭なのもございますが。

 

東京大行進の後片付けはまだ続いておりますので、

なにかとお待ちの皆様には、まだ振り返るのは早いかもしれませんが、

雑感を書かせていただきます。

 

今回は私は応援メッセージ動画を撮影者の沼さま、大阪の仲パレの撮影者様の

ご協力をお借りしつつ、行いましたが、

やはり京都まで行ってお話を伺った中村一成様のお話は忘れられません。

 

京都朝鮮学校襲撃事件を踏まえて、この社会に根強い、差別意識と制度的差別について

お話をいただきました。

意識でいえばザイトク会のような、ヘイトスピーチ

学校前での差別街宣(1200万の賠償命令がヘイトスピーカーに大阪高裁より判決が下り、現在被害者とザイトク会は係争中)であり、

制度でいえば、日本政府のあまりに冷淡な民族教育へのアクセスの阻害、

中でも朝鮮学校無償化排除であると思い起こされました。

この二つはこの国の差別の両輪であり、それを挫くべく東京大行進はあるのであるという思いを強くしました。

 

当日は2800人もの方にご参加いただき、その一人一人の方を拝見させていただき、

おそらくは仲たがいをしているであろうひとも、差別には反対だと歩くというのは、

真に自立した人間であり、尊厳を守る人間であるというのはどういうことか

ということに思いをはせました。

二十代前半の私が、親世代の方々と一緒に東京大行進を運営させていただき、

下の世代の方々も手伝っていただき、本当にありがたく思っています。

 

至らない点は多々ありました。

物議を醸している、チマチョゴリの制服を復活させたいという発言をしたのは、僕です。

言葉が足りませんでしたが、僕は「チマチョゴリの方も安心して歩ける社会」を復活させたいという意味で申し上げたつもりではありましたが、

言葉があまりにも不見識であり、この場を借りて謝罪申し上げます。

そこでやはり仲パレのぼんさんのことば「だれがおってもええやんか」「道の真ん中を歩いてやった」という言葉選びのすばらしさ、力強さに敬服するとともに、

もっと私は勉強しなくてはならないと思いを強くします。

 

つまらない文章になってしまいました。

アフターパティがクラブ初体験だった私はどうも堅物でいけません。

楽しいことをしかめっ面で企画するところがあるのです。

 

東京大行進は来年、多様性を祝うものとしてか、差別を撤廃するものとしてか、

行うにしても社会の状況次第というところはございますが、

なるべくレイシストと参加者を誹謗中傷する方々を除き

多くの方に参加していただきたい次第であります。

また、東京の路上で。